文月の最期

〇今日はちょいと小説チックに1日を書いてみますー。
 朝起きてテレビをつけた。
 起きたと言っても実際のところ、その前寝ていたかもわからない。最近は決められた時間寝るというのが、滅法苦手なのだ。時間を決めなければ別に普通に寝ていられる。しかし、何時に起きなければという時は、寝るというよりも、ベットで夢と現実を行き来するか、その狭間で綱渡りのようにゆらゆらと時間を潰すといった方がしっくりくる。この場合、体の疲れはいささか取れないが、寝ないより精神的に楽である。結局のところ、寝るのと起きるのが苦手なのだ。寝るのが苦手と思うと、ますます寝れず深みにはまる。底の見えないどす黒いソースのルツボに、ゆっくりではあるが確実に、正確なペースでずぶずぶと沈んでゆく。そこから抜け出すには、それが夢であると気づく他ないが、まだ気づけそうにない。気づく必要も今はない。
 テレビでは渦中の”真光元”の生みの親、堀氏が芸能人や専門家に囲まれて討論会を行っていた。テリー伊藤飯島愛、ダンカンが攻め立てる。堀氏は自分に非があるのも認めるが、”真光元”の効き目については譲らない。完全に1対多数である。これで討論会と呼べるのだろうか。堀氏にだって弁解人くらいつけたってよかろうに。これでは”絶対正義”が大勢で”悪”を力で有無を言わさず捻り潰してるようにしか見えない。そのおかしさに気づいているのか、進行役の爆笑問題はほとんど話さず終始興味なさげだった。
 それがこの番組の狙いなのだろう。裏方がカンペで出演者を捲くり立てる。テリー伊藤だってただの役者してるだけなのだろう。実際のところ、自分は母親の過失が1番大きいと思うが、場所も時期も悪い。しかもビジネスにならない。これがテレビだと思うと残念でならなかった。
 その後、髪を切りにいつもの店へ行き、そのまま一人で下北をぶらつきに行った。髪はいつもと違う感じに切ってもらったが、案外悪くはない。合宿でやる予定のVELVET REVOLVERを聴きながら電車に乗り込む。一人で電車に乗ってどっか行くってのも悪くはない。そういう自分も好きなのだろう。結局、大抵の好きな事っていうのも、それをしてる自分が好きと言い換えられる。性格もそうだろう。自分の性格が心底嫌いなんて奴はいない。嫌いなら変えればいい。変えられないってのは、心の中では自分の性格が好きか、精神病なんだろう。それを表面上では嫌い嫌いと言ってるほどのナルシストはどうにもならない。とりあえず、今はそう思っている。
 下北に着いたらTHE DOORSに変えた。VELVET REVOLVERは違う感じがした。言うまでもなくカップルばっかりである。これは、もう言うのも飽きたくらいだ。いつもの細い空間の店でお香を買って、外に出る。もう夕暮れで日差しは淡い。歩いて回るにはちょうどいいくらいだ。俺が思うに下北ってのは結構イイ街だ。ギターを担いで仲間とつるむ奴らや、お洒落なワンコを連れて歩くカップル、自分みたいに音楽聴きながら一人ぶらぶらする奴。きっと話してみると案外イイ奴がいると思う。雰囲気も、渋谷とか原宿みたいな余計に派手で今らしい空気もあるが、それも程いい感じに抑えられているし、少し駅から離れると癖のある古懐かしい空気に満ちていて、全体的に何かを生み出すポテンシャルやエネルギーに溢れている街なのだろう。来る度におなかいっぱいな気分になるが、何回も来てしまう。実際、東京に来て1番多く訪れた場所である。自分はちょいちょいそのエネルギーを貰いに下北に来ているのかもしれない。
 最終的にビレッジバンガードで、ポケット灰皿と迷った末に三島由紀夫の”豊饒の海(四)・天人五衰”を買って帰った。音楽関連の本はどれも高いし、ピンとこなかったので見送った。三島由紀夫の文はどこを捨てて読めばいいかわかりづらく、読み終わる頃には秋になっていそうだ。