久米vs巨大シイタケ

Ryo-hei2005-06-24

 昨日はRCのライヴだったみたいですが、残念ながら僕はバイトのため行けませんでした。その前のライヴもいけませんでした。軽音部として恥ずべき失態です。次のライヴは8月らしいので、次こそは行こうと奮起している次第でございます。昨日は初っ端のバンドが凄かったという話を色んな人から聞きました。俺の想像では”犬神サーカス団”のようなV系バンドを想像しております。合掌。全くもって見たくないです。どうも、僕です。今日は特に書くこともないので、”久米vs巨大なにがし”モノ第2弾を想像し創造していこうかと思います。長くなったらゴメンナサイ。

 もう23時過ぎだというのに街には行き交う人々が絶えない。これはたまたまなのか、自分だけが知らないイベントが開催される、もしくは開催されたのかそれは皆目検討もつかない。空は曇っていて星などというものは、自分の見える限りの空には見えない。今は月は雲に隠れぼやけて浮かんでいるが、たまに雲の切れ間から顔を覗かせ街の賑やかさにうんざりして、また雲の奥に隠れるという事を繰り返している。自分もまた月のように気配を隠し、家路を急ぐ。
 次の瞬間、何かが光り流れていったように見えた。流れ星だろうか。いや、そういうように見えただけで実際何かが流れていったのかもよくわからなかった。とりあえず、どうでもいいことだ。
 家に帰りテレビをつけて驚いた。”秩父山中に隕石が落下した”のだという。その30分後の速報で”大きさは小さいもので被害も特にない”というが、自分は隕石が落ちたという速報を見たことなかったので、いささか不思議な気分である。
 次の日からはその隕石について、あーでもないこーでもないという連日の報道が茶の間を賑わせる。しかし、アメリカ軍が調査に入ったという報道を最後にパタっと隕石関連の報道は途切れた。次の日からは”石田純一の隠し子”報道が茶の間を賑わせた。
 それから何週間経った頃だろうか。アメリカ軍が隕石の調査を終えた。調査の内容を外部に漏らすはずもなく、そそくさと日本を旅立った。その5日後、秩父山で巨大なシイタケが発見された。隕石落下地点のすぐ近くで、中心に3.5mくらいのシイタケが一本。それを囲うようにして大人の背丈くらいのシイタケが立ち並んでいるという。当初伐採しようという意見が立ち上るが、この絶好の観光スポットを埼玉人が手放すわけがない。これといって観光スポットのない埼玉には願ってもない機会だった。
 シイタケ饅頭からシイタケ餅。ついにはシイタケマンという苦笑いモノのヒーローが埼玉の子供のハートまでさらってしまう始末。埼玉人の子だから仕方ない。しかし、この時その間にも巨大シイタケは増殖を続けていた。
 このスピードは驚異的で埼玉人が気づいた時にはもう遅い。どんどん倍倍に増えていく。斬れども斬れども、尋常でない数のシイタケが繁殖するのだから追いつかず。ついには街のアスファルトを突き破ってまでも生えてくる。埼玉人が国に泣きつくも、もう街までシイタケが生えているだけに大規模の駆除は不可能だという。埼玉人がようやく反省した頃だった。
 アメリカ軍管轄WSL(ワールド シイタケ ラボラトリー)とNASAより共同調査の結果が届く。あの巨大シイタケはただのシイタケではなく、宇宙生物に寄生されたシイタケだという。宇宙の生物であるだけに対策は未だみつからず。調査結果は追って知らせる。その知らせはあまりにも遅すぎた。埼玉はおろか関東全域は支配され、人間はみな西へ北へ逃げた。
 しかし、希望は尽きてしまったわけではない。そーだ、久米がいる。日本人も高田延彦もそう思ったのである。早速高田は久米にまたも”三顧の礼”をもってお願いしに行った。だが、久米は彼女もいるし危険な目にあうのはもう嫌だという。ほっといてほしいらしい。しかし、このまま人間を見捨てる久米ではない。俺以外に誰が人類を救える。そう思い久米は、今やシイタケだらけになったヘビ博物館に御参りに行き、高田と秩父山へと向かった。
 秩父山は物凄い光景である。足の踏み場もないくらい、シイタケ。キモイ。草を掻き分けて進むように、シイタケを掻き分け掻き分け二人は進んだ。ようやく前が開けたと思うと、原っぱの中心には巨大なシイタケが弁慶のように仁王立ちしている。
 相手が動かないならこっちのものだと久米は一気に巨大シイタケの元へ駆け寄った。しかし、次の瞬間シイタケのかさの部分からレーザーが一閃。久米は危うく焼き尽くされることだった。聞いてないよ、と久米。知らなかったんだもん、と高田君。
 これはかなり厄介である。うかつに近寄れない。かと言って久米には何の飛び道具もない。あるのは丸腰の度胸だけ。あれこれ考えても仕方ない。あるのは度胸のみなのでそれで戦うしかない。そう思った久米は巨大シイタケの元へ螺旋を描くように走り間合いを詰めていく。
 その間何度もレーザーが久米をかすめたが、久米は走ることを止めなかった。走る以外にないのである。メロスのように。やっとの思いでシイタケのフトコロに潜り込む事に成功したがいいが、何ができるのだろう。とりあえず殴ってみるものの、前回と違って今回はとても硬く手を打撲した。どうすればいいのか。久米は焦りと疲れで気が狂いそうだった。
 まるで頭の中をヘビがギュウギュウとひしめき合ってるように頭がパンクしそうだった。わけもわからず久米はシイタケを引っこ抜こうとしている。果たして、3.5mもあるシイタケを引っこ抜けるのだろうか。普通はできない。と、ここで高田も到着。久米の腰を持って久米に加勢する。と、なぜか熊も高田の腰をもってクメに加勢する。このように繋がっていき、久米→高田→熊→イノシシ→ネギ→犬→ネズミで巨大シイタケを抜こうとする。
 徐々に抜けていき、綺麗なバックドロップが決まろうとした瞬間、シイタケの先から何かが飛び出した。それを皮切りに関東地区全土の巨大シイタケの先から何かが飛び出し、それらは空へ一直線に飛び出した。その光景は蒼然で空へ伸びるたくさんの飛行機雲に囲まれたようだった。
 次の日からシイタケの繁殖は止まり、街に生えていたシイタケも全て回収され食糧難の国国へ支給された。街のいたるところに丸い穴が空いているも、街には人が戻りつつあった。なんだかんだで埼玉人は埼玉が好きなのである。
 今回の久米の活躍はほとんど表に出ず、世間は結局は時間が解決してくれたのだと思っている。だが、久米には1つ変わったことがあった。ネギが食べれるようになった。あの時ネギが手伝ってくれていなかったら、今回もどうなっていたかわからない。その感謝の念を込めて久米はネギを食べることにしたのだ。”ネギ食べられるようになったじゃん”久米は彼女に褒められるも”ネギは偉いんだよ”と返す。一見かみ合ってないような会話だが、そこにはまた久米とネギを繋ぐ熱い信頼関係があるのだった。
 また長くなりました。書いてて飽きました。次からはちゃんと構想考えて、いらないとこはスパッと切っていこうと思います。コレ大事